ついでのフィールドノート

2011年11月27日(日)AM7:30〜PM17:00
宮城県気仙沼市 

 

 土曜日に仙台に出張に行くことになったので、翌日曜日に被災地での災害ボランティアというのをやろうと思ったのですが、交通の便が良いところでは素人にできる単純な力仕事は既にほとんど無くなっており、気仙沼市まで足を伸ばしました。
 朝6時に新幹線の停まる一関駅からローカル線に乗り、7時半に気仙沼着。 8時半にボランティアセンターで受付を済ませ、さいたまで買ってきたヘルメットや防塵マスクを身に着けて、9時から15時まで作業。作業内容は、津波で半壊した個人宅を片付ける、ということだったのですが、既に大きなガレキなどは片付けられており、室内でひたすら釘を抜くという楽な仕事をさせてもらいました。このお宅は木造ですが造りが非常にしっかりとしていて修理すれば充分使えるということで、1階部分をいったん木材の骨組みのみの状態に戻しているところでした。僕が行った日は、室内に無数に残った、化粧ボードを留めていた釘を抜く作業となったのでした。
 現場は海に面していて、当日はよく晴れて風もなく、暖かい穏やかな日でした。
 岸辺にカモのような鳥がいたので双眼鏡で見ると、マガンが二十羽ほど、それに混じってヒドリガモが数羽。海面にはウミネコが少し、陸にはトビ、セグロセキレイ、ハシブトガラス。

更地になった上に水没しているので、
陸と海の境い目があいまいになっていた。

 ボランティア活動終了後、仙台への高速バスを待つまでの間に市内(港)を見に行ったのですが、数カ月前にTVで見た風景がほとんどそのままの状態でした。ガレキこそありませんが、見渡す限り、水たまりのできた更地と、半壊した倉庫やビルとが続いていました。客船の着く埠頭と、高台のホテル以外は何も機能していないように見えます。
 夏に行った福島県のいわき市は、少なくとも見た目はほぼ復旧していたのですが、揺れと津波とでは破壊の規模が全く違うということを今更ながら知ることとなりました。

 
陸地に大型船という状況はもう無いと思っていたが勘違いだった。

 

 

 

 

 

 

 


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